第4回「大学は美味しい」フェアへ至る道 被災地支援編

第4回「大学は美味しい!!」フェアは6月1日~7日まで新宿髙島屋での開催予定でした。
しかし、その開催延期の連絡を受けたのが震災から2週間後の3月25日。
名古屋での震災支援の報告会に向かう長野道を走っている時に連絡が入りました。
大阪分校編が震災の影響をモロに受けて目標の10分の1ぐらいしか販売ができず、
新宿でのリベンジを学生と誓っていた中での開催延期決定は無念以外の何者でもありませんでした。
白藤プロジェクトは、大阪分校編の為にガトウ専科と開発した「シュー皮米粉100%のシュークリーム」を被災地への支援活動を始めました。家政大生だからできる専門性の高い支援活動を目指して特化型で支援。
                    七ヶ浜町
3月29日には白藤プロジェクト第1期リーダーの松本恭子さん(小学校栄養士)、第5期リーダーの高橋菜里さんと共に宮城県七ヶ浜町の避難所でシュー皮米粉100%のシュークリーム等の支援物資配布と栄養相談を皮切りに、
白藤プロジェクトの支援活動が始まりました。
                    北部体育館
4月4日には、学生とガトウ専科、新潟市のわんぱくアトピッ子クラブとコラボしてアレルギー対応のお菓子試作会を開催。その後、福島県から新潟県へ避難し1次避難所の長岡市北部体育館を訪問し行政職員やボランティアの方々からお話を伺いました。
生まれてはじめてみる体育館の避難所、プライバシーなどがない現実にショックを受ける学生。
                    トラック
翌日からエコ・ライス新潟では(社)全国腎臓病協議会の宮本会長と福島・宮城・岩手の人工透析患者会を支援するための食糧と衛生用品等を積み込みました。学生は透析患者などが食べられる支援物資がないことを知り「食事が命につながる」ということを改めて知りました。
                    瓦礫の山
6月初旬には白藤プロジェクト第5期リーダーの高橋菜里さん、エコ・ライス新潟阿部信行代表、そして、我が家の第4子と共に宮城県名取市閖上地区に入りました。
津波により港や街が一瞬で破壊され大勢の方が亡くなりました。瓦礫の山がうず高く独特の異臭が鼻を突きます。
戦争映画を見ているのではないかと錯覚を覚える風景に言葉もありません。
                    津波で消えた町
海岸線から数百メートルの小さいな見晴らし山から見ると、敷き詰めるように建っていたはずの街並みが消失して、土台だけが残っている。ほんの数ヶ月前まではこの地で大勢の人達が暮らしていたなんて信じられません。
海から絶え間なく吹く海風の音が物悲しく聞こえます。大勢の方がこの高台から花をたむけ祈りを捧げています。
テレビやラジオ、インターネットでは決して伝えてくれない被災地の姿を、目に耳に肌に、そして、心に刻みます。
                    田んぼ小
我が家の小学生は学校までの子供は片道3kmの道のりの大半が田んぼ道を歩きます。6月の新潟の田んぼは稲がグングン天に向かって成長し一面が緑に包まれる季節。
しかし、閖上地区の田んぼは津波で流されて来た瓦礫の山、ゴミが田んぼを一面に覆う姿を見て動けなくなるほどショックを受けた光景でした。この光景を決して忘れてはいけない。